始業から1時間が過ぎた頃、事務所内には小鳥だけがポツンと席に座っていた。
アイドル達はそれぞれのプロデューサーと出払ってしまう為、騒がしいのはほんの1時間だけ。
後は夕方から夜にかけてそれぞれのスケジュールに合わせてちらほら戻ってきては自宅に帰っていく。
皆人気も出てきたしそれぞれ忙しい日々を送っている。
いつも事務所に居るのは自分と稀に社長室に篭っている社長だけ…
「昨日と同じ、か」
そんな毎日だった。
常日頃からそんな自分を変えよう変えようと思っては来たがそれが現実になる事は無かった。
その都度”きっかけが無い”と言う大義名分を自らちらつかせては責任を回避していた。
カタカタ、サラサラと小鳥の仕事が音になって自分の耳に聞こえてくる。
カタカタカタカタッ
タンタン
忙しなく動いていた小鳥の指が止まった。
「はぁ〜、終わったぁ」
手首を軽く回して凝りを解す。
時計を見上げると針は11時半を指していた。
「うーん、ランチまで少し時間があるのねぇ…どうしよっかな」
ふと窓を見上げると暖かな日差しが事務所の中に差し込んでいた。
小さな鳥が気持ち良さそうに翼を広げ風を泳いでいるのを見つけると小鳥は小さく溜息を吐いた。
「いいなぁ…」
優雅に舞う鳥を見つめていると憂鬱な気分が小鳥を包み込んできた。
「はぁ…。同じ小鳥なのに…私は羽ばたけないのかなぁ。このまま仕事と言う巣の中でさえずるだけの子鳥のままなのかしら」
そう呟くと小鳥は小さく微笑んだ。
「フフッ、昼ドラみたいな台詞♪」
軽く笑い飛ばしながらも少なくとも自分に当てはまりそうな感は否めなかった。
アイドル達は今も忙しそうにしながらもキラキラと輝くステージで大いに羽ばたいている。
歌って踊って泣いて微笑って恋をして…
そんな彼女達が羨ましくも思えた。
「はぁーあ。ネガティブに考えてるとアンニュイな気持ちになってくるわねぇ、やめやめっとー。ランチは何処で取ろうかしら?」
まだお昼までは15分近くもある。
小鳥は窓に張り付いて下を覗き込んだ。
「下のお店はいつも混むのよねぇ、うーん。気分転換にいつもと違う所行ってみようかしら」
高い所から普段行かない様な場所を探していると忙しなく行き来する人の群れがなんだか滑稽に見えてきた。
わらわらと黒や茶色の頭が色々な店に入っていくのが見える。
「ウフフッ」
昨日の晩に見たアニメの映画のワンシーンが思い出される。
「はっはっ!見ろ!人がごみのよ―」
「何をしているのかね?音無君」
「ひゃぁあぁあぁあぁあぁっ!?」
不意に声を掛けられ恐る恐る振り返るとそこには社長が訝しげな表情で自分の事をじっと見つめていた。
「しゃっ、社長…。これは、特に何も…はい…」
慌ててしどろもどろに訳の分からない事を呟いて小鳥は静かに社長を見上げた。
「そそそれより、私に何か御用でしょうか…?」
「おお、そうだった。今日、新しいプロデューサーが1名事務所に来るので応対してくれたまえ。それと」
「今月末、新年会も兼ねて歓迎会をだるき屋で行うので予約をよろしく頼むよ」
社長の言った言葉を小鳥は手早くメモにしたためていた。
「新年会かぁ…そう言えば今年は忙しくてまだでしたね」
小鳥が言うと社長は自慢気に答えた。
「皆が忙しいと言うのはそれだけ我が765プロが世間に認められてきたと言う事ではないかね」
社長の言葉に小鳥は少し寂しそうに微笑んだ。
「そうですね。でも少しだけ皆とお話し出来てた頃が懐かしいなぁ」
「うむ…まぁその為の歓迎会兼新年会だ。急だがよろしく頼むよ!」
「はい。あ、人数はどれくらいでしょうか?」
「音無君を含めて10人と言うところだな、」
社長が言うと小鳥は小首を傾げた。
「私も、入ってるんですか?で、でも私今月はちょっとピンチで…」
小鳥が申し訳無さそうに呟くと社長は高らかに笑った。
「はっはっはっ!気にしないでいいよ、音無君!会費は全て私が出そう!君達は楽しんでくれればいい!」
小鳥はホッと胸を撫で下ろした。
「良かったぁ、じゃあお言葉に甘えてご馳走になります♪」
「うむ、頼んだよ!」
社長が言い終えると同時に昼を知らせるチャイムが鳴り出す。
「じゃあ、お昼に行って来ますね」
一礼して小鳥は外に飛び出した。
辺りの飲食店はランチタイムが始まっておりやはり何処も混んでいた。
「うぅ…仕方ない、ちょっと高いけどオープンテラスのお店に行こっと」
小鳥が辿り着いた場所は事務所から少し離れた場所にあるオープンテラス付きの喫茶店だった。
そこそこ混んでいるものの値段の所為か席が空いてないと言う事は無かった。
店内で注文を済ませテラスの席に運ぶ。
「スコーンとサンドイッチとコーヒーだけで800円…」
一瞬冷たい風が小鳥をかすめて行ったが待たずに席に着く為のサービス料金だと自分を納得させることにした。
食事を済ませコーヒーを一口啜る。
「パンもコーヒーも美味しいのだけど…800円は…」
ふと空を見上げると陽も高く上っていて燦々と照っていた。
「でも風も気持ち良いし、天気も良いしこれはこれでたまにはいいかなぁ」
そう呟くと持ってきた小説を開いて読み耽る。
時間はまだ15分も経っていなかった。
たまにコーヒーを啜りながらパラパラとページを捲っているとふとコーヒーを手に持った男性が目に入った。
男性は買ったは良いものの席が空いていなかったのか辺りをキョロキョロと見回している。
片手にはプラスチック容器に注がれたコーヒーを、もう片方には灰皿を持っていた。
(あの人、席を探してるのかしら?でもなぁ、灰皿…うーん。ここ喫煙席だしなぁ…でも)
そう思い男性を見上げる。
しばらく考えていると男性は諦めた様に肩を落とすと店内に入ろうとしていた。
「あ、あの!」
小鳥の言葉に男性はビクッと体を震わせてこちらを振り向いた。
「ここ、よろしければ…」
と空いているもう片方の席を勧める。
半ば諦めかけていた席を思いがけぬ形で譲られ男性はきょとんとしていた。
(あぁ、なんか恥ずかしい事言っちゃったかなぁ…)
そう思ってると男性は事態を把握したのか済まなそうに微笑んだ。
「あ、ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」
男性が微笑むと小鳥も一安心して男性と向かい側に座る。
男性はコーヒーにストローを挿してゴクリと一口飲み込んだ。
その様子を小鳥は小説を盾にして覗き込んでいた。
(かっこいい人だなぁ)
さらりとした髪に鋭角的な顔立ち、アンダーリムの眼鏡の奥に切れ長の眼が見えていた。
小鳥はすっかり男性に見惚れていた。
読んでいた小説も進まず少し読んでは男性を見上げる。
(こんな人が事務所に居たら、良い目の保養になるのになぁ…)
チラリと腕時計に目をやると時刻は12時55分を指していた。
「5分前!?」
慌てて立ち上がる小鳥に対して男性は呆気に取られた顔で見つめていた。
「あ、あははは。…じゃあ私はこれで失礼しますね」
小鳥が言うと男性は立ち上がり丁寧にお辞儀をした。
「はい、譲って頂いてありがとうございました。助かりました」
「いえいえ、それでは…」
カップを片付け小鳥は急いで事務所に戻った。
デスクについて再び午後の作業に取り掛かる。
「あ、だるき屋予約しとかなきゃ」
受話器を取って予約の電話をする。
「はい、10人でお願いします。はい、よろしくお願いします」
カチャリと受話器を置いて一息吐く。
「はぁ…飲み会かぁ。あまり飲めないしなぁ。でも気晴らしにはなるかなぁ?」
そう一人で呟いているとふと先程の男性の顔が目に浮かんだ。
「うーん、プロデューサーさん達もかっこいい人多いけどうちの事務所には居ないタイプねぇ、芸能人さんだったりして、フフッ♪
届くかなぁ?…私の想い…届かないわよね…」
一人で妄想に耽っていると突然ドアがノックされた。
「ふえぇ!?郵便屋さん?でもまだ1時15分だしいつもより早いわね。今いきまーす」
ドアノブに手を掛けドアを引く。
「おまたせ、しま…したって、あれ?」
小鳥は一瞬驚いた。
さっきまでコーヒーを共に飲んでいた男性がそこに立っていた。
「あの…何か御用でしょうか?」
ときめく気持ちを抑えてあくまで事務的に質問をする。
「あれ?…先程は有難うございました。本日付けでプロデューサーとしてこちらに配属になりました。社長はいらっしゃいますか?」
小鳥は事態が全く把握出来ていなかった。
「あ、貴方が…しょ、少々お待ち下さいね」
それだけ言い残し社長室のドアをノックする。
「何かね?音無君」
「お客様がお見えですよ。本日付で配属になられたプロデューサーさんです」
「おお、そうだった。通してくれたまえ」
プロデューサーを招き入れてお茶を運び終えドアを閉めると、小鳥はお盆を胸に抱えてほぅっと息を吐いた。
さっきまで妄想にまで登場していた彼がまさか自分と同じ事務所に所属する事になるとは予想だにしていなかった。
「なんか、ドキドキしちゃうなっ♪」
フフフッと小さく笑うと軽いステップで小鳥は自分の席に着いた。
30分程すると社長室から二人が出てきた。
「音無君、ちょっといいかね?」
「あ、はい?」
手を止め小鳥は二人の前に立つ。
「プロデューサーだが今日から事務所に配属になった訳だ。が、三浦君のプロデュースは少し先になるだろう」
「そう、なんですか?」
「そこでだ、それまでの間事務員を兼任してもらう事になった!」
「へ?」
「少しの間だが音無君も負担が減るだろう、どうかね?」
「私は、その…問題ないですけど」
そう言ってチラリとプロデューサーを伺うとプロデューサーはニコリと微笑んだ。
「自分も問題無いですよ。よろしくお願いします、音無さん」
「あ、はっはい!こちらこそよろしくお願いします!」
小鳥は深々と頭を下げた。
「では、仲良くしてくれたまえ!」
「ご指導よろしくお願いします」
「指導だなんてそんな…」
それから小鳥はプロデューサーに一連の事務の仕事を教えた。
プロデューサーは持ち前の飲み込みの良さで次々と仕事の要点を把握していく。
メモを片手にサラサラと何かを書いては実践していくを繰り返していた。
それから数週間。
あずさはデビューを果たしたもののファン数はあまり伸びず未だに低ランク帯を彷徨っている状態だった。
そしてその間、あずさがレッスンをしてる間やオフの日にはプロデューサーは事務の手伝いを進んでやる様になっていた。
今日もあずさ宛に仕事の依頼は来ておらずオフの日だった。
小鳥も自分の仕事をこなしつつプロデューサーに業務の説明をしていた。
「プロデューサーさん、事務の方は私だけでもどうにかなりますよ。お忙しいんじゃないですか?」
心配して言う小鳥に対してプロデューサーは苦笑した。
「忙しくない訳ではないですけど、それでもまだ余裕が出来てしまう程なんです。それに…」
「それに?」
「事務が大変なのも知ってしまいましたから、余暇がある内はこちらも放っては置けません」
半ば照れる様に笑むプロデューサーの言葉に小鳥は胸の奥がほぅっと暖かくなるのを感じた。
「プロデューサーさん…」
「とりあえずですけど、しばらくはこちらでも仕事を教えて下さい」
「分かりました、じゃあビシバシ行きますからねっ!」
「お手柔らかに、お願いします」
そしてこの間、小鳥は自分の心境の微妙な変化にまだ気付いてはいなかった。